高山の人たちは自分たちのことを「岐阜人」ではなく、誇りを持って「高山人」と呼ぶらしい。
名古屋駅から特急に乗ること2時間半、冬は道が閉鎖されてしまうほどの雪が降るという正に「陸の孤島」と呼ばれている岐阜県、高山市。
名古屋駅始発の「特急ひだ」最近リニューアルされた社内は、すごく綺麗。大きな窓で外の景色を楽しめる。
PlanetDAOはLocation#0という形でのテストケースを高山善光寺を拠点にスタートした。
長野の善光寺大本願より別院号を授かり、長野までお参りに行くことができない地元の人々に愛され、親しまれてきた高山の善光寺。近年では日本人よりも海外からのバックパッカー旅行客に安価で泊まれる宿として人気であった。
住職家族が東京へ移住し、無住寺院となってからも親族や地域の人と協力しながら宿坊の運営は継続していたが、宿坊の老朽化や周辺にゲストハウスが急増するなど環境や市場ニーズの変化に対応が難しくなっていた際に『OTERA STAY(お寺ステイ)』というサービスブランド展開を手掛ける株式会社シェアウィングに業務を委託することを決めた。格安のゲストハウスから高付加価値型の宿坊へと業態変更し、再リニューアルしたのが7年前。現在、95%が外国人旅行者で顧客単価は3倍以上、満室続きの人気の宿と生まれ変わっている。
今回はこの高山善光寺を拠点に初期DAOメンバーを現地に集め、高山の街を歩くフィールドワークを実施し、お寺でワールドカフェ形式でのワークショップを行った。
今回は現地でのフィールドトリップ・ワークショップという形でDay1が終わったが、先1ヶ月で、Day2、Day3とオンライン・オフラインを混ぜながら、高山での活動のアイデアを出し合いつつ、実現に向かう。
今回、参加者が皆口にしていたのは、高山市の訪日外国人旅行者の多さ。日本人より多いのではないかと思えるほどの訪日外国人旅行者の数だった。
人口8万人の陸の孤島に、なぜ年間60万人以上の外国人観光客が訪れるのか
飛騨高山は、日本で一番最初にと言っても過言ではない、インバウンド対策を市を挙げてで取り組み始めた地域だと聞いた。こちらのnoteを読んでいると、確かに初動が早い。
高山市、海外市場攻略の略歴
- 1960年:アメリカのデンバー市と姉妹都市提携
- 1986年:国際観光都市宣言
- 1996年:「バリアフリーまちづくり」を提唱
パンフレットやマップ、ホームページに外国語を表記する
- 2000年:行政と民間で負担金を出し合い「飛騨高山国際誘客協議会」結成
- 2011年:海外戦略室(現在・海外戦略部)を設立
- 2010年代:飲食店や店舗の多言語化を市が補助金事業として支援
市長自らが海外での旅行博へ出向いたりなど、民間だけではなく行政からも市を挙げてインバウンド対策に取り組んできたそうだ。全体の旅行者数は4倍の箱根と比べても同じ数の訪日外国人旅行者数だという。
今回の滞在でも、外からやってきたものに対してとてもウェルカムな態度で受け入れてくださった事が印象的だった。歴史が長く、文化にあふれる街にもかかわらず、対外的なプロモーションを昔から厭わず努力している高山の街は、日本の他の都市にとっても参考になる点はたくさんあるだろうと思った。
このイベント、参加させていただいて、ありがとうございました!めっちゃ勉強になったし、プロジェクトにより気になったし、素晴らしい経験でした!